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2025/06/02 01:32 |
328日記⑤~巨大廃墟後編――マヤカンよ永遠に~

DVC70040.JPG

 

前回その姿を写真にて紹介した巨大廃墟。

この建物はいつ、何のために建てられたものなのか。

そしてなぜ廃墟と化してしまったのか。。。

328日記、最終回。

巨大廃墟、その真実と歴史に迫る!!

 この廃墟にもかつて、名前があった。

 摩耶観光ホテル、通称『マヤカン』である。

 

 

 

マヤカンが建設された背景には、六甲山の開発があった。明治時代以降、外国人居留地の欧米人によって六甲山が開発されてゆき、山頂エリアには日本で最初のゴルフ場『神戸ゴルフ倶楽部』が造成されたり、山荘が数多く建築されるなど、別荘地として発展を遂げてゆく。

800px-Kobe_golf_club04s1024.jpg神戸ゴルフ倶楽部
Wikipediaより転用

海抜840mでコース上に海が見える。

一方、摩耶山も、もともと天上寺というお寺があり、その参詣者で昔は大変にぎわっていた。そのため、大正時代に摩耶山にも開発計画が持ち上がり、1925年にケーブルカーの営業が開始した

それに伴い、摩耶山遊園地や食堂、動物小屋、ベビーゴルフ場、テント村などが整備され、1929116日、摩耶山温泉ホテルが施工された。

 

工事費用30万円・鉄筋コンクリート4階建て・総坪数650坪の洋風ホテルは、L字型のユニークな形をしており、まるで軍艦を髣髴とさせるその姿から『山の軍艦ホテル』と呼ばれた。


Maya-ss-Hotel_ruins.jpg上からの写真
 Wikipediaより転用

12階がホテル部分、和室と洋室をあわせた計13部屋からなり、3階には大食堂や家族浴場、娯楽場が、4階には400人を収容できる余興場が設けられていた。余興場では映画や演劇が行われていたようで、浴場を中心とした健康ランド的存在だったという。

かなりセレブな高級ホテルだったようで、当時は昭和天皇も逗留するほどの名ホテルだった。


DVC70033.JPG在りし日は大食堂

DVC70027.JPG在りし日は大浴場
 
DVC70002.JPG在りし日は余興場

しかし、1944年、第二次世界大戦の激化により近接の摩耶ケーブルの運行が停止し、ホテルの営業も翌年に休止した。

 

 その後、15年以上にわたりホテルは閉鎖さることとなり、その間無人化したホテルに引き揚げ者が住みついていたという。

 

 1961年に全面改装の上で『摩耶観光ホテル』として再オープンする。豪華客船から装飾品などを買収し、改装された。12階はホテルの客室、3階はロビー、4階は大ホール・グリルなど、5階は大宴会場として設備された。

DVC70032.JPGロビーのカウンターだろうか

DVC70017.JPG在りし日はグリル?


ホテル開業に伴って、摩耶ケーブルを利用する客も増え、摩耶山は戦前と同様の繁盛ぶりを発揮していた。


DVC70001.JPG現ケーブルカー
 

 しかし、1967年、台風などの影響で摩耶ケーブル付近で土砂崩れが発生、ケーブルは運休し、ホテルも塩害などの被害を受けて、同ホテルは営業を停止する。


DVC70045.JPGもしかすると
摩耶山中腹の集落は、がけ崩れのあとなのか?? 

 その後1974年頃より学生のゼミ合宿やサークル合宿専用の『摩耶学生センター』として転用された。摩耶観光ホテル時代にそろえられたベッドや調度品をそのまま利用し、廃墟的な雰囲気を売りにした施設として一部人気を呼ぶ。


DVC70025.JPG今、部屋にベッドなどはない

DVC70023.JPGただ、壁と床、柱があるだけである。 

 学生の合宿場のほかに、映画やドラマのロケ地として利用される(1985年には映画『ユー☆ガッタ☆チャンス』 主演:吉川晃司や、1989年にドラマ『過ぎし日のセレナーデ』 フジテレビ系 主演:多村正和)など、様々なことに利用されていたマヤカンだが、1994年、管理者の体調不良より学生の合宿所としての使用も停止された。

 

自動車道の未設備や観光名所の不足は、マヤカン再開発の希望の光をいっそう暗くした。ケーブルカーと山上バスが通り、また山上バスからロープウェーで山を越えると有馬温泉に至るという、観光上恵まれた立地である六甲山に比べ、ケーブルカーしか通らず、観光名所も少ない摩耶山には、集客力が足りなかった。1976年には天上寺堂塔が焼失し、お寺への参詣者の数が激減したことも一因かもしれない。

 

 そんなわけで、その後この建物は人の手に渡ることなく、20年以上放置され続けている。


DVC70011.JPGこの朽ち果てた椅子のように

 こうして、マヤカンは完全なる廃墟となったのだ。

 

 abd04470.jpeg

 

 戦争、気象条件、そして近年のモータリゼーションの影響をもろに受け、現在までの75年間の間で、わずか20年足らずの営業期間となった『摩耶観光ホテル』。

 まさに廃墟となるべく生まれてきたような建築物ではないだろうか。。

 

 

 現在は僕のような好奇心の塊の青年たちや一部のマニアたちにとっては、その需要を満たしてくれるすばらしいスポットとなっている。。。

 

 

 さて、328日記、いかがだっただろうか。
 もっと詳しい歴史を知りたければ、
『摩耶観光ホテルについて』でググってみてほしい。

 写真資料なども含め、歴史をきれいにまとめてある素晴らしいブログがあるので。。。

(勝手にすごく参考にしてしまいました。。)

 

 

 荒廃、歴史、巨大な空間、、、マヤカンの求心力は計り知れない。興味をもたれた方は、実際にその目で確かめていただきたい。

 しかし、摩耶山にはもちろんマヤカンだけではないことを、僕は伝えたい。

 摩耶山の掬星台展望台(標高690m)からの神戸、大阪の夜景は、日本三大夜景の一つとされているし、摩耶山天上寺は建て替えが済んでか、なかなか美しいお寺である。


kikuseidai_005_p.jpgパノラマ写真。

tenjouji_007_p.jpg天上寺
 

 お昼から山登りとピクニック、夕方にはマヤカンで肝試し、夜には日本三大夜景と、さまざまなシチュエーションでエンターテイメントを発揮する摩耶山。

 開発が進んでいる六甲山に圧されて霞んでいるが、僕はこの摩耶山を、神戸の素晴らしい一観光スポットとしてオススメする。

 



 この夏はぜひ、心の合った友人たちと足を運んでみてはいかがだろうか。

 

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2007/05/18 18:01 | Comments(0) | TrackBack() | やんちゃ

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